また会う日まで

Fukushimaでの最後の週末、これまで当地の図書館で借りて観たDVDの中で、最後に一つだけもう一度観ておきたかった『遺体』を観ることにした。
週休1日のため今週末は引越しの準備を急がねばならないのに荷物の整理もそっちのけで2時間『遺体』に見入ってしまった。
セリフなど、現実の3・11震災で取材したものに基づいているからか、映画内の人たちは、演技を超えている。役者の仕事とは「嘘(演技)によって真実を伝える」ことだと言っている人がいたが、『遺体』は誰でもこの体はやがてあのように冷たくなる日が来るのだという真実を伝えることに成功しているように思う。

思わず自分の体を眺めた。
『遺体』はその真実がやってきたとき最愛の家族、あるいは自分の体を死体ではなく遺体として扱ってくれる人がいるかどうか考えさせる。死体と遺体の違いは体が一切の活動を停止してもなお、心を持った一つの人格として向き会うかどうかの違いといえる。
遺体に話しかけたり化粧したりするのは、その顕れに他ならない。
そして亡くなった人と心で「会える」ようになったとき、もはや遺体を介する必要すらない。

津波ですべて流され甚大な被害を受けた当地の海浜で行われている鎮魂植樹祭に昨年10月、参加させていただいた折、遺された人が犠牲者に「お会いしている」のを観て、物故者も喜んでおられるのを実感した。

俗に悲しみを2人で分かち合えば悲しみは二分の一に、喜びを2人で共有すれば喜びは2倍になるという。人の感情を理解し共有できれば、そこに「感謝」の情が加わるからだろう。
これは当地に来て随所で実感した。毎週末行っているボランティアでも一日の活動を終え、助けを要請した地元の依頼者が「どうもありがとうございました」と挨拶すると、手伝いに参加したほうも「ありがとうございました」と唱和する面白い習慣が見られるのもそのためだろう。

植樹活動に参加して死者と生存者の間にも同じことが成り立つことを学んだ。肉体的にも、精神的にも決して楽とは言えない復興に関わる仕事をこの一年余り無事に頑張ってこれたのは、この地で亡くなった犠牲者に「お会い」し悲しみを分かち合えたからだと思う。

実はこの一年余り稽古させていただいた市の道場も震災時、遺体安置所だったことを、随分後になって聞かされた。こちらの気分を慮って遠慮されていたのだろうが、「私はここでも犠牲者にお会いしていたのか」と、むしろ感慨深かった。

この週末は、お彼岸でもあり、そしてまた父の命日でもあった。皆さんも懐かしい人に会えただろうか。
では、また会う日まで


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で、 夏期講習 4日目


読解問題が全部終わったところで、今回の"common sense" & "The Ultimate Game"のまとめに入りましょう。

ひとつめの重要テーマ"common sense"は日本語で「常識」と安易に訳されることがほとんどでしたが、小学校の理科や算数みたいに「どこの国の小学生でも知ってるような普遍的な知識」と言う意味での「常識」とは違うというのは、もう大丈夫ですね。
ここで英英辞書を確認してみましょう。

common sense:

sound and prudent judgment based on a simple perception of the situation or facts (Merriam-Webster)

the ability to think and behave in a reasonable way and to make good decisions (FreeDictionary.com)

i.e. You really should go to see a doctor if your leg hurts that much. It's just common sense!

このように英語の解説をみてみるとcommon senseが文字通り"sense"(感覚・判断力)の一種だというのがよくわかりますね。どちらかといえば"common sense"は「空気を読め」なんていうときの「空気」に近い感じかもしれません。
でも結局、英語は英語、日本語は日本語で完璧な翻訳はなかなか難しい。以前、海外で日本語を教えていた時、教授法の勉強のためにいろんな教科書を読んだのですが、英語圏の人が書いた有名な日本語文法書(注:解説は全部英語です!)に、日本語の助詞について面白いことが書いてありました。

日本語の助詞(たとえば「で」)の意味について一生懸命、英語でいろいろ解説しているのですが、最後に....but, "De" is just "De."みたいなことが書いてあるんです。 結局「で」は「で」という意味で、英語にはできない。だから日本語を使いながら「で」の意味をつかむしかないんだ、と。たしかに日本語の「を・に・まで・が・より・から・で・へ・と」(「鬼までが夜からデート」、と覚えます)という助詞の機能をそのまま持つ英語はないのですが、この著者はほんとうに外国語の勉強の難しさがよくわかっていて、知ったかぶりせずとても正直に伝えているなあと思ったものでした。でも難しいからこそネイティブの感覚が掴めたときのうれしさもまたひとしおで、それが外国語学習の醍醐味でもあります。

というわけで、語彙力を問う[22]をもう一度振り返ってみましょう。

[22] Which of the following best paraphrases the statement“Common sense does not reflect on the world”in the 3rd paragraph?

1. Common sense does not “think” deeply about why the world is the way it is.
2. Common sense has nothing to do with the way we interact with the world.
3. Common sense is not good at representing the real world.
4. Common sense often contradicts the way in which the world really operates.

"reflect"という動詞の「基本イメージ」が掴めれば、この問題のリード文のreflect onの意味も類推することができるかもしれません。やってみましょう。

reflectの代表的なdefinitionsを拾ってみました:
1.  hit a surface, and then quickly move in a different and usually opposite direction
i.e. The light reflected off the mirror.

2. to show the image of (something) on a surface
i.e. The clouds were reflected [=mirrored] in the surface of the lake.

3. to show (something) : to make (something) known
i.e. Where you learned a language is reflected in your accent.

4. to think carefully about something
i.e. You should take some time to reflect before you make a decision.

問[22]のreflect onは、この定義4. think carefully about somethingの意味で使われているのですが、1から4の意味をつなぐ「refelctの基本イメージ」は掴めるでしょうか。
1から3までは日本語の「反射する」とか「映す」のイメージにかなり近く、水面とか鏡とかスクリーンに映る像をイメージすれば、まとまりやすいですね。でも、そこから4の「じっくり考える」にどうつながるかがちょっと難しいでしょうか。

では1から3と4の間の溝を埋めるために、ちょっと古いですが、98年度センター試験第六問のいわゆる小説問題に使われているreflect onを引用してみましょう。

Here, he thought, was a place he could come to when he needed to reflect on the past.

これは、どんな話か知りたい人のために『無駄なブログの書き方』という記事の解説を紹介したいと思います。なお、この方はご自分で昔のセンター試験の小説問題にランキングをつけ、その第1位に既述の1998年度『ある老人のひそかな息抜き』を選んでいます。

フレッドは妻が亡くなってからは
娘の家族と暮らすようになった。
しかし、フレッドは1人になる時間が欲しかった。
そこで、あえて魚のいない川へ釣りに行き、
静かな時間を過ごしていたのだが―――。

センター英語・第6問の最高傑作『フレッドじいさん』である。
ストーリー全編に漂うフレッドじいさんの
静かなる妻への愛が、とにかく素晴らしい。
この読後感は名作を読んだ時にしか味わえないもの。
長文問題という粋を超えて
1つの作品として完成してしまっている。
確か、予備校の講師として有名な竹岡広信先生も
この話は絶賛していた。



センター過去問は無料ウェブサイトで比較的容易に見られますし、教学社のセンター赤本にはまだ98年度の過去問も載っているようですので、是非読んでみてください。帰国生や、超ハイレベルの大学を狙う受験生はセンター試験なんて簡単すぎるとバカにする人が多いのですが、速読訓練用にワードで語数を数えて読解・解答時間を計り1分に何語読めて何%正解できたか表にしてみるという使い方もあります。さすが莫大な予算と日本国の威信をかけて(笑)作っているだけあって、英語のセンター試験問題も、やればやるほど英語力がつくよう教育的配慮に富んだ良問ばかりです。長年、英語教育にあずさ割った経験から言って、問題を丸ごと覚えてしまうくらい繰り返しやっても損はないと思います。

さてフレッドじいさんが独りになれる場所を探し求めたのは「reflect on the past」つまり過去を振り返り、見つめるためでしたが、この情景描写がうまい具合に釣りをしてる小川のよどみの「水面に映る(reflect)」風景とフレッドじいさんの回想(think deeply)が絶妙に重なりあっているようです。私は授業などでこの物語を繰り返しやったおかげでreflect onの、一見多義的にみえるイメージをうまくつなげて覚えることができました。

少し脱線しますが古今東西、鏡だとか水面だとかいった、人の顔や景色をくっきり「映す(reflect)」ものに人間は神秘的な力を感じるようですね。"Snow Withe(白雪姫)"の有名なセリフ Mirror mirror on the wall (鏡よ、鏡…), who is the fairest of them all?も鏡に向かって語りかけています。そういえばSnow Whiteもまた性悪オバハンの「嫉妬」の物語でしたね(笑)。

Snow white, the Queen and the Magic Mirror 1
https://www.youtube.com/watch?v=mqmIMvWnIV8

また日本の天皇家が古代から現代まで引き継いでいる三種の神器のひとつは鏡ですし、人が死んだあと行くあの世の入り口で閻魔大王が我々一人一人の生前の行いを調べるために、すべてを映しだす浄玻璃も鏡の一種です。他にも、昔から人は死ぬとき過去の出来事が走馬灯のように浮かんでくるといいます。

・・・そんなこと英語の勉強や受験には関係ねえだろうと思う人も多いかもしれませんが、今年2017年度の獨協大学の英語の入試問題は「臨死体験」を扱っています!救命救急医療の発展で蘇生する者の数が増え、その結果、蘇った人からの臨死体験報告も多数集まるようになって現代では心理学の研究対象にもなっていますが、やはり、一生の出来事や関わりあいのあった人々が現れて、これまでの人生を振り返るような体験をしたという報告は民族、文化を問わず定番のようです。唯識派仏教でいう平等性智はこの現象をいっているのでしょう。

以上、reflect "on"するものの話をいくつか挙げてみましたが、それぞれ共通することがあるのにお気づきでしょうか。これらすべて、鏡やスクリーンのような物にいったん世の中や自分のことを映し出させておいて、一歩引いて第三者目線で自分自身を見てると思いませんか?目にゴミが入ったとき自分の目(眼球)で自分の目(眼球)は見られませんよね。ですから鏡にいったん映してから見るのに似ています。

実はこの「一歩下がった目線」が最近アメリカ心理学会でmindfulnessという名で紹介され鬱やPTSDの治療にも取り入れられている仏教の瞑想の一手法だったんですねMindfulness for COINTELPRO victims (http://americanobotsuraku.blog132.fc2.com/category22-1.html)。 このmindfulnessトレーニングの優れているところは西洋の精神医学はabnormalからnormalの精神状態にすることしか視野に入っていなかったのに対しmindfulnessはnormalからさらにwell-being(もっと善い状態)にまで精神を引き上げることも目指せるという点です。薬物療法のように副作用もなく効果も持続する点も注目されています。

abnormal --> normal --> well-being
[ psychiatry ]
[ ----- Budhist meditation ----- ]

今回、勉強したThe Ultimatum Gameの考察で見たように、例えば嫉妬などという感情は、誰でもなかなか自分では気付かない、認めたくないものでしたね。だから何か他の概念にすり替えて誤魔化しているわけですが、まさにこれが集団ストーカーはマインドコントロールされていても自分で気づかず、治らない原因でもあります。でも「一歩下がった目線」で感情に巻き込まれずに自分自身を見つめなおすことができるようになれば「あ、今、自分は嫉妬してるんだな」ということも客観的に観察できるようになります。自分に嫉妬心があることに気付いて、それを誤魔化さなければ、嫉妬そのものはすぐに消すことはできなくても、自分の嫉妬心につけこんで集団ストーカー犯罪などに協力させようとしている権力犯罪者のマインドコントロールに気づきやすくなります。またHAARPやVoice to Skull, LIDAなどといったマインドコントール用ハイテク凶器を使用された場合も異変を察知しやすくなるでしょう。

マインドコントロールへの抵抗と防衛、そして現代社会
(14)重要な評価や判断をするときには、少し冷めた目で、一歩さがってみつめ直そう。策略をめぐらす人との接触においては、感情移入しないことが肝心。
(17)人は一般になれた情況では自動的に行動してしまいがちである。いつも自分が置かれている情況で、自分がやっていることに注意深くなろう。
西田公昭 『マインドコントロールとは何か』



では自分自身の心をreflect onするには何が必要なのでしょうか。まず、五感から強い刺激が絶えず流れ込んできている状態ではとても無理ですよね。だから瞑想ではよく静かな場所で目をつぶって坐ったりすることで外からの刺激を極力減らすわけですね。
また他人との接触を断つことも大事でしょう。人といるとどうしても自分がどう見られているか、あるいは自分をどう見せたいかということに気がいって、正直に自分の心を見る余裕がないのが普通ですからね。

物理的に独りになることは難しくても、精神的に「独り」になれればよいでしょう。だからカウンセリングや心理療法というのも対話が基本なんですが、しかしカウンセラーが「あなたの心理は・・・なんです」とか「あなたの性格は・・・だ。だから・・・しないといけません」というんじゃなくてクライアントが自分で自分を振り返って自分で自分の問題に気づくように仕向け、手伝ってあげるのがカウンセラーの役目だと、私は大学の授業で習いました。

余談ながら大学の心理学部を卒業するとき大学院のカウンセラーの資格取得コースに進むように大学の先生から随分勧められたのですが結局、行きませんでした。アメリカで心理カウンセラーになれば、かなりの高給が保証されるはずでしたが、「自分は自分自身のカウンセラーになれればそれで十分だ」と思ったので・・・。

学校の勉強や受験でも似たようなことが言えると思います。他人と成績を比べて一喜一憂する生徒や親が多いものですが、大切なのは自分がこれまでどれだけ成長したかではないでしょうか。比べるなら一年前の自分と今の自分を比べ、どれだけ伸びたか、あるいは昨日の自分より今日の自分のほうが成長しているかが大事ですよね。

さてそろそろ夏も終わることですので、このあたりで“独り”夏期講習も中締めをしたいと思います。

次回、機会があれば今年2017年度の慶應SFC総合政策学部の英語第三問「stereotypeとschema」を扱った長文や同じく2017年度東京大学の英語第一問「国民性というステレオタイプの問題性」などをまたご一緒に勉強出来たらと思っています。

皆様の勉強とマインドコントロール予防の何か参考にでもなれば幸いです。


つまらないものですが、夏期講習 3日目

最後にGnau族の「贈答文化」にもう少し触れておきましょう。贈り物をもらったら必ずお返ししないといけない"reciprocity"がその特徴です。
だからUltimatum Gameで、もし何十ドルも受け取ると、西洋人には嬉しい“a free money”なのに、Gnau族にとっては、いずれ返さないといけない“unwanted obligation(ありがた迷惑な負担)”になってしまう。
そこで半分の$50よりたくさんの金額を提示されても拒否する人がいて、それを見て西洋人は、はじめ驚くわけですが、背景にこんな文化的事情があるというのがわかったら納得できると言っています。

実は日本文化にもこれと共通する慣習があるんですね。お歳暮に超高級な菓子折りを差し出すときでも「つまらないものですが」と言って渡したりするのがそれです。あと、記念品なんかの袋に「粗品」と書いてあるのを見かけることもあるでしょう。
粗品ってチャチな安物という意味ですね。それを人にあげるプレゼントに書いておくことは我々日本人には見慣れたもので別に奇異ではありませんが、でも、ちょっと考えてみてください。まさか外国人が人に贈り物するときに「アー、コレ100円ショップでカッタ、メイドインチャイナのヤスモノ、アナタにアゲル」とは言わないでしょう(笑)。

やはりこれは日本人文化に独特な慣習のようですが、なぜ大切な人への贈り物を自分で貶すのでしょうか?
もう20年以上前のことですが学生時代、東京外大の先輩が書いた論文に、この疑問に見事に答えてくれたものがありました。曰く、日本人にも贈り物をもらったら必ずお返ししないといけない"reciprocity"があって高価なものをもらえば高価なものをお返ししないといけない。だから、もらった相手が負担に感じないように、あげるほうは予めこう言っておくわけです、「これは捨ててもいいくらい、つまらないもの、安物なんですよ。だから何か高い品物をお返ししなきゃなんて思わないで、気楽に受け取ってくださいね」と。そんな細やかな気づかいと思いやりに満ちた言葉だったんですね。

余談ですがこの先輩は女性で、外大卒業後、東京大学の大学院博士課程まで進んだ、たいへんな才女ですが、私たちに対しては弟妹の面倒見のいいお姉さんみたいな存在で、その論文にあるとおり、よく気が利いて、思いやりのある、やさしい人だった思い出があります。

いっぽう「近頃の若いもんはあ…」じゃありませんが、平成生まれの人と接してると、このような日本人の美徳も世代が下がるにつれ、だんだん廃れてきたなという感は否めません。

それでも災害など危急の事態が起こったときは日本人の「思いやり」が顔を出すのを目撃された方は多いのではないでしょうか。
Fukushimaでは今でも復興ボランティア活動が続いており日本全国から毎週途切れることなく有志が集まって貢献しています。
私も都合がつく限り参加していて、他の方と交流する機会もよくあるのですが、遠くから参加されている方の動機をおうかがいすると日本は災害列島なんだから、「明日は我が身」「お互い様」というような言葉をよく耳にします。まさに見ず知らずの他人でも助け合う「思いやり」ですね。

若い被災者にも、それに答えるかのような人もたくさんいます。昨年、地元の高校の文化祭の展示を見に行ったのですが生徒たちが書いたメッセージを読むと「震災のとき世界中の人たちから助けてもらった。だから将来、人を助ける職業になりたい」といった内容のものを多く見かけ、とても感動しました。

またつい先日のことですが、盆休みが終わり東京からFukushimaへ戻るバスの中で、この記事を書くために、上のようなことを思い出したりしながら考え事をしていると、途中トイレ休憩で止まったパーキングエリアで、ある文字がふと目に飛び込んできました。
大きな駐車場では、建物から一番近い駐車スペースに身障者など優先用に車椅子マークがついた駐車スペースがありますよね、そこに白字で「おもいやり」と書いてあったんです。

これも日本人が誇る文化だなあと思いました。たしかにアメリカにも身障者優先駐車スペースはあるし、おそらくこれはもともとアメリカから日本に入ってきたものでしょう。でも、違うのはアメリカの場合、一般者がそこに止めたら高額の罰金を取られる、だから普通アメリカ人は止めないだけで、裏を返せば罰金でも科さないときちんと守らないということでしょう。

いっぽう日本人なら罰金なんて下衆なこと言わないで「思いやりの心」に訴えようよというわけです。素敵だと思いませんか。私の知る限りアメリカ人でも、こういう考え方を知ったら「おもいやり」のほうが素晴らしいと考える人が多いんじゃないかと思います。嫉妬が起こらなければ、ですが(笑)。

でも留学中、私の自転車を盗まれたことがあったとき、アメリカ人の友人の友人(よって直接、面識のない方)が、使ってない自転車があるからあげるといって、随分高そうな自転車を頂いたことがあります。いくらかお礼したいと言ったのですが「要らなくなったら、また誰か次に必要な人にあげてくれれば、それでいい」とお金は受け取られませんでした。留学を終えアメリカを去るとき、言われたように私もその自転車を欲しい人に無料で譲りましたが、これなどはアメリカ式「助け合い」の精神といえそうです。

¶9の最終文で言っているのもだいたい同じことです。
...once they (= understandings about how the world is supposed to work) have been accepted, their commonsense logic works in exactly the same way as ours does.

そして最後に残った問[28]は上の文のパラフレーズを探すと答えが見つかります。

[28] According to the article, which of the following is true about commonsense principles?
1. Commonsense principles such as fairness and reciprocity are universally accepted not only in industrial societies but also in preindustrial societies.
2. Commonsense principles of preindustrial societies will eventually be replaced by those of industrial societies.
3. Commonsense principles of preindustrial societies and those of industrial societies are both equally functional in their own societies.
4. Commonsense principles are deeply rooted in all kinds of human knowledge, including formal knowledge like science and mathematics.

正解は3ですね。

"夏期講習4日目"へつづく

サルでもわかる集団マインドコントロール予防

集団マインドコントロール予防授業
 夏期講習 2日目

【慶應大学入試 総合政策学部 英語 2014年度 第1問】

なにはともあれ、まずは、かわいいおサルさんの行動を観察してみましょう。

Monkey cooperation and fairness
https://www.youtube.com/watch?v=2BYJf2xSONc

 おサルさんたちが容器の中のクルミを食べるには石で蓋を壊さなければなりません。
さて左のおサルだけが石を持ってますが、肝心のクルミはガラス板で仕切られた右のおサルが持っていて手が届きません。
二匹が協力しなければ、どちらもクルミをたべられないのですが、左のおサルは石を渡してしまったら右のおサルがクルミを全部食べるんじゃないかと心配です。でも右のおサルはちゃんと「お返し」に、6個のうち、きっちり半分の3個のクルミを左のおサルにあげています!
「自分さえよければ他人はどうなってもいい」という考えでしか行動できない誰かさんたちとは比べるのも失礼なほど、おサル様は道徳的だったんですね!!(笑)

《2番目の実験》
Two Monkeys Were Paid Unequally: Excerpt from Frans de Waal's TED Talk
https://www.youtube.com/watch?v=meiU6TxysCg&t=92s

お次はおサルにも悖る人間を使った実験です。

本文¶6よりUltimatum Gameについて

As remarkable as it is, common sense exhibits some mysterious traits, one of the most striking of which is how much it varies across cultures.Several years ago, a group of economists and anthropologists set out to test how different cultures play a particular kind of game, called an ultimatum game.The game goes something like this: First, pick two people and give one of them $100.That person then has to propose a split of the money between himself and the other player, ranging from offering them the whole amount to nothing at all.The other player then gets to accept the deal or reject it.If the second player accepts the deal, they get what they were offered and both players go on their merry way.But if they reject the offer, neither player gets anything; hence the ultimatum.”

[23] Which of the following is NOT a characteristic of the game “ultimatum”?

[23]は "ultimatum game"について「当てはまらないもの」を選びます。前回の"common sense"の定義についての問題と同様、じっくり読まなければ答えられないタイプの問題でしたね。ここからもこの論文は、"common sense"と"ultimatum game"がふたつの重要なテーマであることが窺えます。ではまず「当てはまるもの」のパラフレーズを本文中から探し、消去法で解いていきましょう。

1. the first player has the right to split the money in any way he or she likes.

-> That person then has to propose a split of the money between himself and the other player, ranging from offering them the whole amount to nothing at all.

2. If the second player does not accept the deal, neither player receives any money.

-> But if they reject the offer, neither player gets anything

3. The second player can negotiate with the first player if the deal is unfair.
パラフレーズがありませんのでこれが正解

4. the first player can keep all the money if the second player agrees.

-> ranging from offering them the whole amount to nothing at all.


“ultimatum game(最後通牒ゲーム)”のルールについてはバッチリ理解できましたか?いまいち、よくわからない人は今はインターネットというとても便利な道具があるのですから早速、自分で調べてみてください。なんといっても、これは”ひとり”夏期講習ですから(笑)
ついでにこのゲームを友達とやってみたり、自分だったら、いくらに分けるか、またはいくらだったらOKするか想像してみると面白いですね。

このゲームを思いついた学者は実際、自分らの社会も含め、いろんな民族社会で同じ実験をしています。
まずindustrialized societiesの参加者の特徴、つまりアメリカ人やその属国の戦後日本人(笑)のことですね。

[24] Which of the following best characterizes the behavior of the people in industrialized societies when playing the ultimatum game?
1. Their behavior is based on the standard notion of economic rationality.
2. They are most likely to reject even a fifty-fifty split just to be mean to the proposer.
3. Proposers take into account what the recipient will regard as a fair deal.
4. Recipients are usually satisfied with whatever amount of money they might receive.

¶6 に以下のパラフレーズがあります。
proposers tend to offer what they assume the recipient will consider a fair split.
よって正解は3だとすぐにわかるのですが、この実験の肝をよく理解しておくために選択肢1を見てください。
Their behavior is based on the standard notion of economic rationality.
とあります。もちろん現実はその逆で、「人は自分が経済的に得をしない不合理な行動を敢えてとることが往々にしてある」という事実が実験でわかったのだから、この選択肢は×です。

ちなみに経済学という学問は、この選択肢の通りに、「人間は常に自分が1円でも得をするように行動するものである」、という大前提に基づいて理論がつくられているそうです。だから経済学者の予想は当たらないんですね(笑)。私の世代はバブル経済とその崩壊後の大不況をともに目の当たりに経験してますので、つくづく思いました ― 経済学者って、いったい誰のために何を研究して何の役にたってるんだろうって…。

それはさておき、「自分が経済的に得をしない不合理な行動」の例に、集団ストーカー犯罪があります。秘密警察シュタージに集団マインドコントールされ集団ストーカー犯罪に協力していた東ドイツ人大衆の心理を見てみましょう。

「情報提供者にとってはどういう旨味があったのでしょう?」
 どれくらいの金額が支払われていたか興味があった。
  「哀れなくらいでしたね …… 」
 「そういう条件でどうして彼らは情報提供者となったのでしょうか?」
 「・・・・そうすることで自分が何者かであると思えたんじゃないでしょうか・・・・自分は他の人間とは違うんだと思えたのではないでしょうか。」
    ---- 裏切りそのものが報酬だったのだ ---- 誰かより上にいる自分を感じられるという小さくて根深い人間の満足感。愛人のようなこの心理を東ドイツ政権は利用していたのだ。

『監視国家―東ドイツ秘密警察(シュタージ)に引き裂かれた絆 』
https://gangstalking-crime-databease.blogspot.jp/2010/10/blog-post_20.html



言うまでもなくこれは今、日本人社会で進行している現象とそっくりですね。それもそのはずシュタージの工作員の多くは東ドイツ崩壊後、いわゆる西側世界にも亡命して、集団ストーカー手口を使った大衆マインドコントロール支配の方法を各国の秘密警察(米CIA/FBIやそのパシリである日本の公安)に教唆することで延命を図ったらしい経緯があるからですね。

After the collapse of East Germany in 1990, 85,000 full-time Stasi officers lost their jobs virtually overnight, and some of them remained unemployed without any government compensation at all. Those who remained unemployed…may have eventually sold the world’s most sophisticated infiltration techniques to international criminal organizations.

Dr. シバタ著 "The invisible maiming torture enterprise of organized stalking assaults"
https://gangstalking-crime-databease.blogspot.jp/2012/11/the-invisible-maiming-torture.html



なお、公開されている資料中、日本国内で最も古くから集団ストーカー犯罪を行ってきた団体は北朝鮮移民組織の朝鮮総連です。

「おい、しっかり見てろよ。今日はあいつをつけ回すぞ」 「え、なぜですか」 「(総聯)中央がそうしろって言ってるんだ。工場の仕事なんかより名誉ある仕事だぜ。おっ、日本のブル新聞(ブルジョア新聞。社会主義者が『朝日』や『読売』などの一般紙を蔑んで言う)なんか読んでやがる。朝鮮新報を読めよ、民族反逆者めが」
「先輩、あの人は絶対に僕たちの尾行に気づいていたと思うのですが」 「当たり前だろう。そのためにやってるんだから」 「えっ!?」 「こうやって神経をまいらせるんだよ。あいつは陰で次期議長の金炳植副議長の悪口を触れ回っている不心得者だから、こうしてお灸をすえているのさ。」
『朝鮮総連の大罪』 金 昌烈
https://gangstalking-crime-databease.blogspot.jp/2010/10/blog-post_24.html



なんと昭和40年代には日本で既に集団ストーカーをやっていたというのですから、ケータイが普及した後、「テロ対策」だの「防犯パトロール」のためだなどと嘯き集団で他人のプライバシーの窃盗やストーカーをやっている変態の皆様にとっては大先輩だったんですよ、北朝鮮移民は(笑)。

ところで注目していただきたいのは、この犯罪を煽動している公安・警察犯罪者も含め、集団ストーカーをやる者たちの心理ないしは犯罪動機です。

上掲『監視国家』で国際的なジャーナリズム賞を受賞した著者のFunder女史は集団ストーカーの心理を次のように分析しています。

「誰かより上にいる自分を感じられるという小さくて根深い人間の満足感。愛人のようなこの心理を東ドイツ政権は利用していたのだ。」

 では「愛人のような心理」とはどのようなものでしょうか?何十年も集団ストーカー犯罪被害に遭ってきた私は愛人どころか結婚もできませんから、飽くまでも見聞きした範囲での推察ですが、愛人のような心理とは、ずばり激しい嫉妬心のことでしょう。
つまり愛人である自分より法的立場は強い正妻に対して、プライバシー剥奪やストーカー行為など非合法の嫌がらせをして「痛い目に合わせる」ことで、自分のほうが上になった気分になれるから集団ストーカー犯罪に協力するというわけですね。前回やった「ニワトリ脳」を思いだしましょう。

ただしほとんどの人は嫉妬のような醜い心が自分にあることは認めたくありません。でも現実に、悔しくて我慢できない気持ちは確かにあって抑えきれない。そこで認識のすり替えを行って誤魔化します。自分がストーカーや嫌がらせをするのは嫉妬のためなんかじゃない、あいつが悪いから懲らしめてやっているのだ、と。これぞ まさに「防犯パトロールだ」と嘯きながら、罪のない一般市民である被害者を悪者にでっちあげ、プライバシーを剥奪し"自殺"までさせて喜ぶ集団ストーカーの心理。

朝鮮総連組員の例をもう一度見て見ましょう。

工場の仕事なんかより名誉ある仕事だぜ。…あいつは陰で次期議長の金炳植副議長の悪口を触れ回っている不心得者だから、こうしてお灸をすえているのさ。」

やはり、一般に社会的地位が低いとみなされている工場労働者にすぎない自分の嫉妬心を誤魔化すために、「不心得者を懲らしめてやってるのらあ」と、すり替えを行っているのがわかります。私の職場の中卒オバハンが集団ストーカーとなって嫌がらせや工作を繰り返し業務妨害しているのも全く同じで、そうすることで「自分のほうが上」になった妄想にしがみついているのでしょう。いっぽう公安などの権力犯罪者らは、この個々人の嫉妬心を利用して大衆を集団マインドコントロールし、集団ストーカー犯罪に協力させているわけですね。

なお、このようなすり替えを行う動機となる自己矛盾した心理状態を社会心理学用語でCognitive Dissonanceといいます。アメリカの大学で使った心理学の教科書によれば、Cognitive Dissonanceという言葉は既に教養のあるアメリカ人の間で日常会話にも使われているとのことです。
参照:
a. An Introduction to Leon Festinger's A Theory of Cognitive Dissonance
b. Cognitive dissonance | Behavior |

誤解なきよう申上げておきたいのですが、激しい嫉妬が起きるのは、いわゆる低学歴者とか社会的地位が低い人に限られるわけではありません。超高学歴や超有名人でも自分の嫉妬心に強く左右される例もあります。東大法学部卒、大蔵官僚から売れっ子文学作家となった三島由紀夫氏はノーベル文学賞も噂されるほどで、成功した人生のように思われていましが、ノーベル賞を川端康成に先を越されてから、自決という過激な行動に走っていったのではないかという岡田尊司先生の分析があります。

もしそうなら三島氏は嫉妬から生じる怒りが内側(自分)に向かった例といえそうですが、逆に社会へ矛先が向かったのが、今や大失敗と批判されている愚策「ゆとり教育」を始めた寺ナントカという文部官僚でしょう。このオッサンも東大卒ですが、しかし親兄弟は文Ⅰ合格だったのに、自分は文Ⅲでしか受からなかったこと、あるいは大蔵省のようなトップ官庁ではなく文部省にしか入れなかったことに強いコンプレックスがあって、一億総白痴化政策の代表みたいな「ゆとり教育」を始めたという噂もあります。

これが事実かどうかは別にしても、結果的に、ある世代から下の日本人の知的レベル、産業技術力は目に見えて低下したし、かねてから日本人に激しい嫉妬を抱いていた中国人や朝鮮人たちの多くを大喜びさせたことは紛れもない真実ですね。もっといえばこうしてアジア人同士が嫉妬心から非生産的な足の引っ張り合いをして自ら潰し合ってくれることで、世界的にダントツ優位に立つことができる白人たちも、ほくそ笑んでいることでしょう。

なお寺ナントカというオッサンはその“功績”を買われたのか、その後、コリア学園という朝鮮人移民のためのバリバリの詰め込み教育進学校に迎えられたそうです(笑)。喩えて言えば「平和のために軍備縮小する」と防衛省官僚として自衛隊を縮小して訓練を減らし弱体化させた後、おとなり北朝鮮軍の精鋭部隊長に迎えられ、北朝鮮の軍事力増強に貢献してるようなものですね。ある意味とてもわかりやすいオッサンといえそうです。

逆に例えば私の職場にいる元板前さんも中卒なのだそうですが、しかし優秀な職人として一流ホテルで勤めた輝かしい職歴もあって、いかにも誇りを持って自分の仕事に打ち込んでこられた人らしく、件のオバハンのように周囲に陰険な嫌がらせなど一切しません。

これらの例は嫉妬が地位や学歴に関係なく生じること、また自分の嫉妬心を見ないで誤魔化したまま生きていると、周囲も本人も損をするような結果になることを教えてくれています。

実は、今読んでいる論文の"Ultimatum Game"実験においても、分析者(たぶん西洋人でしょうが)自身が「すり替え」を行っていると私は思います。というのは、このゲームでは2人が何もせずに$100を与えられ分けることになっており、何か労働をした報酬としてお金をもらうわけではありません。
いうなれば棚から落ちてきたぼた餅のようなお金を自分はいくらもらうかといった話で、もともとアブク銭なのですから、相手が何ドル取ろうが文句は言えないはずでしょう。

でも、相手が自分より多く取ったら、嫉妬心がうずいて悔しいので、相手にお金を取らせたくない。かといって自分がそこまで欲深くて、はしたない人間だったとは認めたくない。Cognitive Dissonanceですね。だから公平とか不公平といったfairnessの概念を持ち出して「unfair」な相手に「思い知らせてやる(teach a lesson)」のだ、自分の認識をすり替えて誤魔化しながら、提示額の少ない相手に「NO!」をつきつけ、自分も相手も1ドルももらえなくしてしまうわけでしょう、本当はただの嫉妬なんだけど(笑)。

この点がおサルさんの実験ビデオの2番目と決定的に異なるところでもあります。よく見ると、2番目の実験のおサルさんたちは、チップを実験者に手渡すという「労働」の「報酬」としてビスケットか葡萄(または胡瓜か葡萄)のどちらかをもらうわけですから。

類似実験:Equal pay for equal work - monkeys know that's fair!

MachiguengaやGnauといった非工業化社会の人たちの実験結果が白人社会の者たちに理解しがたいのも同様で、この民族の人たちはそもそも「棚ぼた$100」を白人とは全く違う認識でとらえているのだから、はじめから嫉妬も生じないようだし、この実験がfainessの問題とは考えていないのではないでしょうか。
それで、彼らの反応が、白人の分析者たちには次の問題[25]の解答にあるように映るのだろうと思います。

[25] In the 7th paragraph, the author discusses the way the Machiguenga tribe and the Gnau tribe play the ultimatum game in order to show that
1. the concept of fairness is different in different cultures.
2. people in preindustrial societies tend to be more generous than those in industrial societies.
3. it is impossible to make sense of the behavior of those in preindustrial societies
4. people in preindustrial societies enjoy the ultimatum game just as much as those in Industrial societies.

本文に以下のパラフレーズがありますので正解は選択肢1です。
they found that people in different societies have very different ideas about what counts as fair.

実験者の心を読んでみましょう(笑):「未開人たちって$100を半分コにしない奴がいても"不公平"とは思わないんあだなあ!何が“fair(公平)”かってのは、それぞれ文化によって全然違うんだねーとわかったよ」、と言ってます。
でも感心してる場合じゃないでしょって(笑)。ここまでの拙文を丁寧に読んでくれた人は、どこが可笑しいのか、もうおわかりですよね。

既に説明したように、この実験では何もせずにタダでお金がもらえる(かもしれない)わけだから、もし仮に自分が1ドルももらえなかったとしても、それでべつに「損した」わけじゃないでしょう。だから、例えば相手が$99取って自分に$1しか分けようとしなかったとしても、OKして$1もらっておけば、拒否してお互いゼロになるよりは「得」するので合理的といえるわけですよね。

実際、ペルーのMachiguenga族はそのように反応すると本文に書いてありますし、そこを問いにしたのが[27]ですね。

[27] Which of the following would be the most likely behavior of the Machiguenga when they are playing the ultimatum game with a stranger?
1. they would be easily offended if they were offered an uneven split.
2. they would accept whatever small amount they might be offered.
3. they would do the best they could in order to be loyal to the stranger.
4. they would feel obliged to offer a fifty-fifty split.

¶8に以下のパラフレーズがあるので正解は2だとすぐにわかります。
To them, even low offers were seen as a good deal.

それなのに、「そんなケチな奴は思い知らせてやる必要があるのらあ!」と言ってNo!をつきつけ、相手も自分もお金をもらえなくしてしまうのは西洋人の反応で、その原因はおそらく嫉妬です。
でも自分が嫉妬してるなんてカッコ悪くて認めたくないから、たかが実験ゲームに例えば現実社会の所得格差のようなものを投影して、相手を非難するためにfairenessなどという社会通念を持ち出しただけでしょう。

「投影」に関して、こんどはパプアニューギニアのGnau族の例を見ましょう。とばしてた問題[26]をちょっとやってみてください。

[26] In the 8th paragraph, it is mentioned that the Gnau people “mapped” the unfamiliar interaction onto their most similar social exchange. From this we can assume that the Gnau people
1. learned to win the ultimatum game by offering gifts to the proposer.
2. learned to play the ultimatum game by drawing charts.
3. drew a map of some of the important features of the ultimatum game.
4. drew an analogy between the ultimatum game and their customs of gift exchange.

問題のリード文になってるところのパラフレーズを選択肢から探せばいいだけで、正解は4.です。

「へえ~Gnau族って、The Ultimatum Gameに、贈り物をもらったら必ずお返ししないといけない自分たちの慣習を投影(draw an analogy=重ね合わせ)してるんだ!面白いねえ~」とここでも感心しているようです、西洋人たちは。
おいおい、投影してるのは、あんたたちもおなじでしょうが(笑)、とツッコミをいれたくなるのは私だけでしょうか。昔、ジミー大西というタレントがいて司会者が最後に「じゃあ、ジミーちゃん頑張ってね!」とふると、「オマエモナー」と必ず返して笑いをとってたのを思い出します。結局この問いは、べつにGnau族でなく、西洋人を主語にして作ってもいいわけです。

たとえば、People in idustrial societies “mapped” the unfamiliar interaction onto their most similar social norm so called "fairness"...とかね。

他人のことはよく見えても、自分のこと、とくに心の動きは、なかなか見えないことを教えてくれているようです。
悪人に集団マインドコントロールされないためには、まず自分の心をよく知っておくことが大切なんですね。でなきゃ悪人のほうが私たちの心をよく知っていてコントロールされてしまうことになるでしょうから。

「夏期講習 3日目」へ続く

To be continued

Power Harrasment/Crimes in Fukushima


【Database】

Gaslighting is a form of manipulation that seeks to sow seeds of doubt in a targeted individual or members of a group, hoping to make targets question their own memory, perception, and sanity. Using persistent denial, misdirection, contradiction, and lying, it attempts to destabilize the target and delegitimize the target's belief.
Instances may range from the denial by an abuser that previous abusive incidents ever occurred up to the staging of bizarre events by the abuser with the intention of disorienting the victim.
ガスライティング(英: gaslighting)は心理的虐待の一種であり、被害者にわざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法。例としては、嫌がらせの事実を加害者側が否定してみせるという単純なものから、被害者を当惑させるために奇妙なハプニングを起こして見せるといったものまである。

Wikipedia



背が低かったり、鼻が低かったりするのも、相対的なことであり、それが他人と比べて、絶対に劣っているという訳でもない。
ただ人の心の中にのみ、自らの外見や条件を以って、他人よりも劣っていると言う観念があるのじゃ。

劣等感が心の中にあると、他人の言葉が全て自分を批判するように思えたり、自分の観念に固執して離れられず、真実が見えなくなったりするものじゃ。
それも己の弱さを隠そうと防御する反応から来るものじゃ。

そして自らを弱いと思う事も認めず、強く見せかけるために、他人への攻撃をえんえんと繰り返したりする。
「劣等感」 『鬼和尚の仏教勉強会』



【Case Study】

 
私が平成29年4月4日より勤務している職場で、4月の勤務開始より7月現在に至るまでパワーハラスメントおよび円滑な業務遂行を妨害する嫌がらせや、傷害罪、器物損壊罪に相当すると思われる事案が多々ありましたので以下に、その代表的な事例を報告します。
なお加害者が不定の事案もあり、これについて発生時の状況説明に同僚の名前(仮名)が付随していますが、加害者を特定するものではないことをお断りしておきます。

(1)この報告を行う発端となった直近の出来事

7月6日 午前9時40分頃、休憩中に自分のコップで紅茶を飲み、コップを水で洗ったところ、コップの外側全体に塩素の原液かなにかが塗布されたようなヌメリがあり、直後に両手の平の皮がむけた。
    この件について㊂さんは「私もそれくらい荒れるよ」とか「最近、(職場の)手洗い石鹸を変えたからじゃない?」と当初から事件性を否定。
    私が当日コップを洗う際、石鹸を使っていないこと、またそれまでに3か月も同じ水道で同じようにコップを洗って一度も荒れたことはなかった事実を主張しても一切認めなかった。
    またこの日、石鹸を使う前に既にヌルヌルし始めたことを説明すると㊂さんは「最近、石鹸を変えたのは厨房内のだけで、休憩室のほうのは変えてないけど」と言ったが、あとから来て会話に加わった主任㋚さんはその部分は聞いておらず、ただ話を合わせるように「そうそう石鹸変えたからだよ」と言った。話が㊂さんと食い違っているのでこちらが「え?休憩室のもですか?」と確認すると「そう。」と答えた。
    しかし㊂さんが言っていたことと食い違っていることを指摘すると、㊂さんのほうを見て「あ!休憩室のは変えてないの?」と言うなど、いきあたりばったり適当に話を合わせているだけのようだった。

7月7日 翌日も、この二人は事件を強く否定し、またその日の休憩後、㊂さんが㋚さんのコップもいっしょに洗いながら「コップに何かついてたら、わたしだから、ごめんねえ・・・イヒヒ」と言い、㋚さんは「いいわよー、イヒヒ」と被害を受けた私を愚弄する冗談を目の前で言い合っていた。
    さらに、事件について私が現場主任の㋚さんへ言う前に会社へ直接報告したことを強く非難してきた。私がその理由として㋚さんは余った食事の持ち帰りが外部に漏れ会社から注意された後(後述する6月2日の記録参照)も、まだ持ち帰りを止めず、また都合の悪い事は認めないなどリーダーとして信頼できないような行動が見られたことを説明すると逆上し「持ち帰ってない」と強弁し、それを指摘した私に対して、女性とは思えないような口汚い言葉でののしった。
    以上のようなやりとりがあったこの日、帰りがけにバイクの後ろタイヤがパンク。バイク屋に見てもらったところ、全部ではなく、乗るとへこむ程度に空気が抜けていて(或いは抜かれていて)、気づかず乗って走ったところチューブが傷んで完全に空気が抜けたのだろうとのことだった。

7月9日 いつも昼の休憩前に午前の洗い物をすませ乾燥機に入れてから休憩に入るが、この日、私が乾燥機のスイッチを入れておくのを偶々忘れたので休憩明けに器具が乾いていなかった。
    毎日、休憩の途中に㋚さんが厨房を通って、配膳室に食器を返しに来る子供に応対するが、その際、乾燥機があと何分かチェックし、スイッチを入れ忘れていたら、「スイッチはいってなかったよ」と皆に注意する。
    しかしこの日なぜか㋚さんは何も言わなかったので「今日は休憩途中にチェックするとき気付かなかったんですか?」と聞くと急に動揺し「私が気づかないといけないの!?」とか「私が何でそんなこと言われないといけないの!」と逆上して、わめきながら、きまずいのを隠すように、仕事中にもかかわらず休憩室へ入っていった。
    その後、業務終了後に、なぜこのようなことを聞いたかの話になり、前回と同じくその理由として㋚さんは余った食料の持ち帰りを止めず、また自分がやった悪い事は「やってない」と一切認めないなどリーダーとして信頼できないような行動が見られることを説明すると再び逆上し「お前はしつこいんだよ!前のこと何回もいいやがって!女みてえなやつだな!」と女性とは思えないような口汚さで、ののしられた。また「なんで笑いながらしゃべってんだ」とつっかかってくるので「笑ってませんよ」と言うと、「笑ってるだろっ!お前の笑ってる顔見るとむかつくんだよ」と口汚くののしられた。
    また㋚さんが「何を持ち帰ったって言うんだ?」と開き直って聞いてきたので、色々ある中で、両者がはっきり覚えていそうなものは何だったか一生懸命、思いだしながら「たしか麵だったかなあ」と言うと㋚さんは苦笑いしながら「麺?フン、そんなもん、いらねえよ」と、給食の麺は好きではないので自分では持ち帰らないが麺以外のものなら持ち帰る可能性があることを言外に認めていた。なお実際に会社から2度、注意されるまで余った麺はすべて私にくれていたが、私の前では持ち帰りを認めなくなってから後も、(おそらく自分らが持ち帰るために)保管室の冷蔵庫や冷凍庫に余った食料が彼女らが帰るまでとってあるのをよく見かけた。ものはデザートや牛乳などが多かった。

7月10日 午後の食器洗浄時、㋚さんが各人の持ち場を決めるが、この日は私を翌日のために食器類をセットする係にした。なおこの日、準備する食器が当日使ったものとすべて異なり、全部入れ替えなければいけないので、いつもより時間がかかることがわかっていた。そのうえ、いつもは他の担当の者が乾燥機に入れてくれるものまで、すべて私にやらせ、早く終わった者にも私を一切手伝わないようにさせ、3時10分頃から40分頃まで私ひとりで厨房に残り作業し、それ以外の者は、皆、休憩室に入っていた。

7月12日 これまで㊂さんが包丁を研ぐことは一度もなかったのに、この日午前野菜を切っているとき、私の傍で聞こえるように唐突に「包丁が切れない」と言い出し、しかも昼前に自ら研いで、包丁研ぎ器は私に洗わせた。昼前に器具を乾燥機に入れるのはいつも羽賀さんか私で、この日は私が包丁研ぎ器を乾燥機に入れた。昼休憩後、㊂さんが大きな声で「(包丁研ぎ器のプラスチック部分が)曲がってる!」と騒ぎ出した。見ると中が開くようになっている柄の、なぜか片方だけが湾曲し、しかも私が乾燥機内に置いた際、何も触れていなかった箇所に、乾燥機よりはるかに高温の金属かなにかがあたって溶けたような不審な跡が残っていた。

     直後の午後1時25分頃、食器を洗いながらふとスチコン(スチーム調理機)のほうを見ると、機械が作動しており目盛りが「庫内200度」の高温を示していたので、近くに寄って確認しようとすると、すかさず㊂さんが気づき、わざわざ仕事の手を止めて、ずかずかと私のほうへ、詰め寄ってきて「何ですかっ!?」と恐ろしい形相で、まるで「何を嗅ぎまわってるんだ」といわんばかりに逆上し制止してきた。
     なお、この包丁研ぎ器はそれまで私が2度使っただけで他に誰も使ってなかった。またその2回とも、この日と全く同じ状況で乾燥機に入れたが全く異常はなかった。不審に思ったので同日、夕方、乾燥機が作動中(庫内87度前後)時に試しにまた同器を入れてみたが、へし曲がったプラスチックの柄の部分は変形するどころか、素手で触っても全然熱くなかった。

     同日、帰り休憩室横に止めてあったバイクの後ろタイヤ(前週金曜に修理したばかり)の空気が完全に抜けぺちゃんこになっていた。この日朝、出勤時は何も異常なかった。バイク屋に見てもらうと、タイヤにもチューブにも空気が漏れるような穴は開いておらず、何者かが故意に空気を抜いたイタズラではないかとのことで、警察に行ったほうがいいとアドバイスされた。

7月14日 昼の休憩時、自分のコップで紅茶を飲むと、内側全体に付着していた茶渋の一部だけ漂白されて白くなっていた。水で流し洗ってみたところ、それ以上、茶渋はとれず、また前回のようなヌメリはなかった。 

    昼休憩が終わり厨房へ向かう際、Kさんが部屋に残っていたので、たっている傍の扇風機が切ってあるか念のため確認した。加藤さんは「切れてます」と答え、こちらから見ても扇風機が首振りしておらず止まっているのを確認した。
    しかし夕方、業務終了時に㊂さんが「3時ころ休憩室に入ったら扇風機がついていた」と言った。しかもなぜか配送係のYさんや㋛さんなどが付けて消し忘れたのではないかという可能性はこちらが何も言わないうちから否定し、私かKさんの「過失」にするために話を作って言っているかのようだった。なおこれは被害者に自身の記憶や正気を疑わせるよう仕向ける「ガスライティング」と呼ばれる心理的虐待の手法の典型であり、詳しくは心理学書やウィキペディアで確認できる。
    
    この業務中の「些細なミスのでっちあげ」と思われるような言動に関してはこの職場がスタートした4月当初から度々あり、これについて(2)以下に時系列で記す。

7月19日 午後3時半すぎころ清掃を終えて手を洗おうとすると、右手の掌だけが、赤ちゃんの手のように白くふやけ、ひどく皮がむけていた。翌日、病院へ行き診てもらったところ、医師もこれが通常の作業による手荒れではないことを認め、皮がむけるほどの刺激物をだれかが故意に接触させた可能性があることを診断書に書いてくれた。なおこの医師によると酢酸を使って手の皮がむけた事例を見たことがあるがそれによく似ているとのことだった。この医師に話したわけではなかったが、そこで思い出したのが、㊂さんが以前、金属製の水筒をHさんに見せながら「私は毎日酢を持ってきてる」と見せびらかしていたことだった。

    また同日、休憩室のポットで沸かしたお湯で紅茶を飲んだところ、あきらかに異様な味がしてすぐに捨てたが、私がコップに口を付ける「直前」、傍に座っていたHさんが私のほうへ向き直ってじっと顔を見た。このとき私がポットの余ったお湯を捨てる様子を背後から㊂さんがじっと目で追っていた。

7月20日 手を診てもらいに病院へ行くため仕事は休んだが、午後3時過ぎ、週明けにある研修会に持っていく作業靴などを取りに職場へ行くと、私の長靴に強い異臭のするものが付けられてた。故意にやられたとわかったのは、もしこれが足ムレによる自然なものならば作業終了直後にもっとも臭いがするはずだが、仕事を休んで作業をしんていない日に急に強く臭いだしていることと、そしてこれが足ムレの臭いとは違い、窒素系の薬品か何かのような異臭で、揮発性が高いのか鼻につく、その人工的な部屋全体に充満していたということ。なお一度家に持ち帰って消臭スプレーをしたが消えず、週末、週明けにかけて4日間も使用しなかったのに、まだ臭いがとれず、休憩室前の長靴置き場のある部屋(食材保管室)に置くと異臭が充満し、傍を通るとすぐに気づくほどだった。この7月20日以前には、そのような人工的な異臭は一度もなかった。
 
    同日、午後から釜を洗うため、その長靴を使用しなければならなかったが、私が仕方なくそれをはくために厨房へ持っていくと㊂さんが、すかさず近寄って来て、何やら「うれしそうな」笑いをうかべ、長靴と私の顔を交互に見ていった。その後、㊂さん、㋚さん、Kさんの3人が急に一か所に固まり、作業中なのに、こそこそ陰口らしいおしゃべりをはじめ、やはりなぜか楽しそうに、はしゃぎだした。

(2) 4月から6月にあった類似する不審な事案

4月11日 Tさんとペアで下処理(野菜の洗いや可食部以外の切り落とし)作業に入った際、小松菜の根などを切り落としている我々の所へ㊂さんがきて、背後からしきりに手を伸ばし素早くひっこめる動作を繰り返していた。また納品業者が来てブザーを鳴らしているのに誰も出ようとせず、仕方なく私が野菜の下処理を中断して厨房を離れ保管室のほうへ行った。

    その後、㊂さんが調理中、釜から小松菜の根が出てきたと栄養士に見せていた。また㋚さんは小松菜の根(4株くらい)を器に入れて昼食時に全員の前に持ち出し「これはたいへんなミスだから、こういうことがないように」と注意した。この日、たしかに私が根を切りおとしている際、急いで作業していたので2度くらい、根を野菜屑カゴではなく、使う部分のほうに入れてしまったことがあった。しかしすぐに気づき拾いだし屑カゴに捨てなおしたが、その様子を㋚さんと㊂さんは背後から見ていたようだった。

    また野菜はすべて3度、シンクを変えて洗うので、仮に切り落とした根が紛れていても、普通なら次のシンクへ移している途中で見つかるはずであり、まして4株分も根が入っていて気づかないというのは考えにくい。
    なおTさんは、㋚さんからこの日「それでよく調理師免許持ってるね」といった内容の侮辱を受け、これを最後に(実質、調理開始2日目で)辞めていった。翌日、Tさんが辞めたと会社から連絡を受けた㋚さんは電話を切ると「フン。昨日の小松菜が気に障ったか・・・。」と含み笑いするような表情で言った。

なお、このためその後2日ヶ月ちかく5人でやるべき仕事を3人でやらなければならなくなり、ろくに休憩がとれず、また定時に調理を終え食事を出すことができない日もあった。

    ほかにも類似したことは度々あり、例えばキャベツを切った後で、「キャベツの芯が残っていた」と㋚さんが言いがかりをつけてくるので、「なかったですよ」というと、「いや、あった」とムキになって言い張り”証拠”にキャベツを持ってきたが、ちゃんと芯は処理されて残っていないものだったことがあった。
    また私が金曜日に釜の煮炊きを担当した翌週の月曜になって㋚さんが「金曜日に釜のガスの元栓がしまってなかったよ」と言ってきたこともあったが、このような言いがかりをつけられることはある程度予測していたため、私は確実に元栓を閉め2度も点検したことをはっきり記憶していた。そのことを告げると㋚さんは「でも開いてた」と言い張りつつ、なぜか悔しそうな表情で無言になった。

4月18日 16時すぎに業務終了後、定時の17時まで休憩をとったあと、㋚さんと㊂さんがわざわざ定時を過ぎてから検品作業を始め10分程度で終わったが17時半まで「残業」をつけていた。

5月16日 FさんとCさんが午前の休憩中、㋚さんが止めるのを聞かず、煙草を吸いに出たため、㋚さんは自分が注意をしたのに無視されたことに腹をたて「バカにしやがって」と汚い言葉を口にしながら激昂し、携帯を手にもって見ながら「(監督官庁の)S先生へ言ってやった、ヒヒヒ」といじわるそうな笑いを浮かべて言った。が、後日、会社側からの聴き取りでは「私はS先生へ連絡してない」と話が変わっていた。
    なお、これが原因でFさんと、Cさんはこの日に同職場を辞めたが、それ以前から㋚さんと㊂さんは、Fさんの存在を不愉快に思っていて辞めさせる相談をよくしていた。

5月25日 ロッカー内の私の鞄に入れていたクロレッツ(ミントキャンディー)の中身が朝はあったのに、夕方、出して食べようとすると、ひとつもなく空っぽになっていた。このころ㊂さんが、よく私のロッカーを勝手に開け、私に断りなく余った食材の麺などを入れておくことがあった。なお、この余った食材の持ち帰りについては㋚さんと㊂さんが仕切り彼女たちはまず自分が好きなものを確保してから、さらに余ったものを私などへ分配していたが、会社からこの件についてお咎めがあった際、㋚さんと㊂さんは、余った食料はすべて私にあげて、自分らは持ち帰っていないかのような証言をしていた。

6月1日 調理中、㋚さんが約5cm四方のネギの断片を手に持って「(切ったネギを)釜に入れたら、切れてないのが入ってた。初めのほうに出てきた!(つまり、釜の奥のほうへ入ってしまって取りだすのが大変だった)」と迷惑そうに言い、皆にこれ見よがしに見せてからゴミ箱へ捨てた。
    しかし、茹で上がった釜の中に入ってしまったという割りには、みずみずしくで、見るからに「ナマ」のままに見えたので、私は昼休憩に入る前、それが捨ててある厨房真ん中のゴミ箱を開けて手に取り、つぶさに確認すると、やはり全く熱が加わっていない生の断片だった。
    応援に入っていたJさんも傍に来て一緒に見ていると、すぐに㊂さんが我々の行動に気付き、ものすごい剣幕で「何やってるのっ!速く行って!」と休憩室へ追い払われた。  

6月2日 このころ監督官庁へ内部告発の電話が相次ぎ、会社の人が、また注意喚起しに来た。この際「余った食事の持ち帰りはしてないですか?」と確認され、㋚さんは「はい、もう持ち帰ってません」と答えたが、実際は引き続き持ち帰っていた。
    しかし注意を受けたのは2回目なので、この日、㋚さんたちがくれた余りの食料を、帰りに「今日言われたばっかりだから、捨てますね」と休憩室のゴミ箱へ捨てた。その時、㋚さんと㊂さんの他に、この日入ったばかりのKさんもいたが、Kさんがいなくなった後、2人から「Kさんの前で見せちゃダメだよ」と釘を刺された。理由はKさんが会社の面接時、煙草のトラブルで辞めた人がいることを既に知っていたとのことで、どこから外部に漏れるかわからないから、信用するなということだった。

6月7日 皆が野菜を切り終えた後、㊂さんが手袋の小さな破片(ひとつ)が切った野菜の傍にあったと騒ぎ出した。私の手袋を見ると左手指部分に「1か所」穴が開いていた。破片がひとつに穴がひとつだから通常なら私の手袋の破片だろうということになるが、㊂さんは、なぜか「まだどこかに破片がある」と確信的な様子で、切った野菜全種類のボールやザルをチェックすると言い出して探し始めた。
    不思議なことに「破片を探しだしてから」そのあと、Hさんの手袋にも「穴が開いていることが分かった」。なお破片が入っていないか調べるとき、どの野菜から探すかの順番はすべて㊂さんが仕切り、なぜか破片は「一番最後」のカゴから見つかり、結局全部調べることになった。
つまり㊂さんは、手袋片がもう1つ野菜のボール内に入っていることを事前に知っていたとしか思われない言動であり、むしろ㊂さんが自分でこれを「仕込んだ」のだろうと考えると、すべて、つじつまがあう。

6月13日 このころいちばん新しく入ったHさんへのイジメがひどくなり、特に休憩中などHさんが一生懸命しゃべっても㋚さん、㊂さん、Kさんは一切無視してHさんと口をきかなかった。さらに仕事も、」まともに教えなかった。
    また持ち場別の色付きエプロンは、原則その日によって担当が違うので、皆で共有しているのに、「(㋚さんが一番下っ端とみなしていた)下処理」係用の緑のエプロンだけには油性マジックで「〇〇(Hさんの名字のカナ)」と書きこませ、Hさんには永久に「下処理」しかやらせないつもりなのを故意に見せしめにしているようだった。
     
6月15日 厨房内の床に使用済みピップエレキバンが、午前と午後の2回も落ちていた、という騒ぎがあったが、このときも、誰もピップエレキバンなどつけて出勤していないと言っているので、通常なら誰かが故意に持ち込んだ可能性を心配するはずなのに、なぜか㊂さんは「いやポケットに入っていたんだ」と決めつけ、これからポケットのある私服は厨房内で着ないようにと「Hさんに」注意していた。

6月28日 手袋の破片がトレーのカゴから、さらにプラスティックの破片が床から見つかったとミーティング中に㋚さんが、特に栄養士が来るのを待って全員に告げた。
    また、それまで食器かごを持つとき手袋をつけないと怒っていたのに、今度は手袋をつけると怒るようになった。この直前に、栄養士から予算の関係で使い捨て手袋を節約してほしい旨の達しがあり、この栄養士の歓心を買うのに、「手袋の破片付着」のタイミングは絶妙だった。

6月29日 前日と同じプラスティックの破片が床に落ちているのを、この日は私が見つけたが、なぜか㋚さんはもう関心を示さずミーティングでも報告しなかった

※以後、7月に至るまで、他にも類似する事案が度々起こっているが、逐次補充する予定

つづく
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cointelpro mk ultra

Author:cointelpro mk ultra
The writer of 『拝啓 日本のギャングストーカー犯罪者の皆様』(Dear COINTELPRO Criminals) <集団ストーカーの死> (The Death of COINTELPRO Stalkers), and "Unprecedented Human Rights Violation" Discussion Room / Study Room. Also a co-editor of 「新しいタイプの人権侵害・暴力」(Unprecedented Human Rights Violation)

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